物語「履中天皇」日本の神話を物語として、著者 田中繁男が書き下ろす!日本の神話や万葉集を参考にメルマガも発行します!
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物語「履中天皇」物語 履中天皇履中天皇(りちゅうてんのう)は仁徳天皇の嫡子である。 履中天皇は仁徳天皇の崩御の翌年に即位した(元年。庚子。西暦400年)。高句麗の広開士王碑に《十年庚子・…新羅の城に至ると、その中に倭が満ちていた》とあるが、この十年庚子とは広開土王の永楽10年庚子のことで、西暦400年庚子と同一年である。 この広開土王の10年は西暦401年辛丑とするのが普通である。が、刻まれた碑文に、王の十年庚子とある限り、それは西暦400年となるしかないこととなる(興味深いが、今は措く)。 従って、履中天皇が即位したとき、倭の軍隊は新羅の城の中に満ちていたわけである。戦時下での即位であったが、それは辛卯以来の派兵が断続的にせよ、続いていたことを示している。この頃の半島情勢には厳しいものがあり、履中天皇の3年(壬寅。西暦402年)には、新羅は倭へ人質を送ってきた。百済は5年前(仁徳天皇25年。丁酉。西暦397年)に、すでに人質を送ってきていたが、いずれも基本的に、倭の協力をえようとしたものである。 以上のようなことは『日本書紀」にはなく、『三国史記』などに依拠したものである。それらによると、履中天皇の5年(甲辰。西暦404年)、高句麗、大いに倭を破る、履中天皇の9年(戊申。西暦408年)、倭軍が対馬に集結しているので、新羅は急ぎ軍議を開いた、という。 ところで『日本書紀』では、履中天皇紀は6年までしかない。それを36 年までと考えるのは、履中天皇の宝算(崩御時の年齢)は70歳であった、と『日本書紀』に記すところなどによっている(ここで増やした30年は允恭天皇紀で減らすこととなる)。 ![]() それで、履中天皇の14年(癸丑。西暦413年)、高句麗は大陸の晋に使いするにあたり、倭人をも伴うていく(『晋書』)。これは前年の広開土王の崩御を機に、高句麗と倭軍との間に講和が成立したことを示すものとなっている。半島の背後に大陸のあることを、改めて強く認識した履中天皇は、その7年後の21年(庚申。西暦420年)、大陸に晋が滅び宋が興ると遣使し、ここに所謂《倭ノ五王》の時代が始まるわけである。 物語 履中天皇 |
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